吉備に築かれた造山古墳は、5世紀初め頃までは全国最大の規模を誇っていた全長約350mの巨大古墳です。このような大きな古墳が岡山に築かれた背景は何だったのでしょうか?今回はその謎に迫ります。
古墳の大きさは、地域の勢力や豪族の権力などを反映していると考えられています。そうすると、造山古墳以降は吉備とヤマト王権による二頭政治は解消され、ヤマト一強の時代になったと言えそうです。ただし、作山古墳と両宮山古墳は、縮小こそしたものの、当時の倭国で2番目の規模を有し、まだまだ大きな勢力を持っていました。
しかし、5世紀後半になると、吉備の王墓は全長80mほどに縮小します。日本最古の歴史書である「日本書紀」には、吉備の豪族がヤマト王権に反乱を起こすも鎮圧されたという伝承が見られます。古墳の急速な規模縮小は、そのことを反映しているのではないでしょうか。