岡山平野を流れる旭川の下流域に位置する岡山城。そこから旭川をさかのぼり吉備高原に入ると、河岸段丘状の小平野が点在しています。そのうちの1つに面し、中小河川と旭川の合流部を見下ろす急峻な臥龍山の山頂に金川城は築かれました。江戸時代には岡山と津山を結ぶ「津山往来」と呼ばれる道が通っており、水陸の交通の要衝地だったことが分かります。
金川城は、備前国西半の戦国大名であった松田氏の本拠でした。松田氏は鎌倉幕府の御家人で、鎌倉時代の末頃に来岡、南北朝時代には備前国の守護(地方統治のために幕府から任命された官僚)になっています。
またこの城は、尾根上に段状に造成された曲輪(城の内外を土塁や石垣などで区画した区域)群からなり、その長さ約600mにも及びます。本丸を中心として北側には北の丸、南側には二の丸、出丸、西側には道林寺丸が広がり、まさに難攻不落の要塞だったわけです。山上に広がる大城郭は圧巻です。