民生委員制度は、大正6(1917)年5月12日に岡山県で、当時の笠井信一知事が「済世顧問設置規程」を公布し、創設した「済世顧問制度」が起源とされています。
1870(明治3)年 馬屋上村(現在の岡山市北区三和)に生まれ、社会福祉事業に生涯を捧げ、民生委員制度の生みの親の一人となった人物です。
一旦は郷里を離れましたが、1891(明治24)年頃に帰郷すると、村民の対立や不和などにより経済的に困窮した人々の荒んだ暮らしを目の当たりにし、私財を投じて貧困者の救済を開始しました。そして共同扶助・勤勉・倹約・貯蓄の奨励により、住民の生活と精神の安定を目指す事業を展開しました。
これらの取り組みは当時の笠井信一の目にとまり、済世顧問制度の創設にあたって参考とされ、1917(大正6)年、最初の済世顧問の一人として嘱託されました。まさに日本の民生委員第1号の誕生でした。
1952(昭和27)年に83歳で亡くなるまで、人々の生活の安定維持に尽力し、生涯を社会福祉事業に捧げました。
地元である三和の地には、藤井靜一の功績をたたえる碑文など、ゆかりの事物が多数残されています。
藤井靜一氏が私財を投じて建てた会館。(岡山空港開港時に現在の建物に建て替え。)
ここを拠点にさまざまな社会事業(セツルメント事業※)を行った。かつてはここで地域住民の結婚式などの諸行事も行われ、また、戦後の一時期においては、馬屋上幼稚園ができるまでの間子どもを預かるなど幼稚園の代替としても使用された。
※セツルメント…社会教化事業を行う地域の拠点のこと
松尾神社の敷地内にある記念碑。表面の碑文は笠井信一元岡山県知事の揮毫(T12.4.19)。
藤井氏本人は日蓮宗の熱心な信者であったが、藤井氏の親族は日蓮宗の中でも戒律のきびしい不授不施派であり、その関係もあってかこの神社を選び、地域住民にさまざまな教えを説いたことにより、この地に建立された。
裏面の碑文には藤井氏が地域住民の生活改善のための貸付の原資とした安部倉融通講について記されてあり、それによると郵便局に150年間預けることとなっているとのこと。
また、松尾神社入り口には藤井静一氏の言葉が刻まれた石柱が建っている。済世記念碑 碑文
済世記念碑に記されている文章です。
藤井氏が晩年信仰に没頭するために起居した庵。安部倉山のこの地で晩年を過ごした。現在の建物は建て替えられたもの。庵の跡地に藤井靜一の活躍を称える碑が建立されている。表面の碑文は全国民生委員連盟会長原泰一の揮毫(S26.8)。
毎年春と秋には地域住民が集まって「済世まつり」が行われる。
藤井靜一翁之碑 碑文
藤井靜一翁之碑に記されている文章です。
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