岡山市立中央図書館は、岡山市出身の児童文学者、坪田譲治(明治23年~昭和57年)が没した翌年(昭和58年)以降、遺族からゆかりの資料を多数寄贈されており、一部分を常設展示するほか、岡山市主催の坪田譲治文学賞の発表時期にあわせて、例年、企画展示を行っています。
今回は、坪田文学の中でも傑作との評価が高く、戦前期に文壇に名声を確立した『子供の四季』(昭和13年)を取り上げて、この作品の装丁・挿絵を担当した洋画家の小穴隆一(明治27年~昭和41年)との関係を軸に紹介します。
『お化けの世界』(昭和10年)と『風の中の子供』(昭和11年)に続き、坪田譲治の戦前期の代表作をなすこの作品では、会社の経営権をめぐる争いに巻き込まれた家族が苦悩する中で、子どもたちの善太と三平を小説の主人公に選び、無垢で純真な子どもたちの視点から社会の矛盾が鋭く描かれており、彼が得意とする小説手法が見事に発揮されています。
実家の島田製織所の経営から離れることを余儀なくされた坪田譲治は、東京で文学ひとつで身を立てようとするものの、極度の困窮に追い込まれていました。しかし昭和10年に『お化けの世界』が評価を得てから『風の中の子供』と『子供の四季』までの3作が世に出たことで、彼の生活はようやく安定し、文学者としての名前を広く世間に知られるようになりました。
『子供の四季』は、最初は小穴隆一の挿絵とともに昭和13年1月1日~6月16日に都新聞(現在の東京新聞)の連載小説として発表され、昭和13年8月に新潮社から単行書として刊行されましたので、ちょうど今年は初出から80周年になります。
単行書の装丁(箱と表紙の装飾)では、箱の濃い桃色と本の表紙の緑色が鮮やかな対比をなしていて、箱から本を取り出したとき、ちょっとした驚きを感じます(展示品は経年劣化により、いくぶん色あせていますが)。こうした色彩豊かで大胆なデザインの装丁と、新聞連載から引き継がれた挿絵と本文が混然一体となり、書物の魅力が生まれています。
また、当館には坪田譲治の長男の坪田正男氏から寄贈された『子供の四季』の冒頭部分の原稿があります。これはノートルダム清心女子大学の山根知子教授の研究(「坪田譲治 草稿「子供の四季」(岡山市立中央図書館所蔵)―解題と翻刻―」『ノートルダム清心女子大学紀要 日本語・日本文学編』第31巻、第1号、平成19年、25~37ページ)で新聞連載の前の草稿と推定されたものですが、早い段階では小穴隆一との連名になっていたことや、『少年の四季』という題名も一時は思い浮かんでいたことがわかり、坪田が文を的確に推敲し、きびきびとした文体に仕上げて行く過程もよくうかがわれます。
『子供の四季』(昭和13年、新潮社)の初版本
現在の長野県塩尻市出身の両親のもとに生まれた洋画家の小穴隆一(明治27年~昭和41年。実際に生まれたのは父の任地の長崎県)は、小学校を函館で終え、洋画家を志して旧制開成中学を中退したのち太平洋画会研究所で学び、中村不折に師事しました。はじめは太平洋画会や二科会に出品しましたが、やがて梅原龍三郎や岸田劉生も参加した春陽会へ小杉放庵を慕って移り、そこで中心的な画家となって活躍しました。
坪田譲治の作品の挿絵や装丁を受け持つ前の小穴は、むしろ芥川龍之介との交友で有名で、昭和2年に芥川がガス自殺したとき、遺書によって2人の遺児を託されたくらいの深い関係でしたし、芥川のほとんどの作品が小穴の挿絵や装丁によって発表されています。
小穴はその後も坪田譲治、宮沢賢治、室生犀星など、多くの文学者の作品の挿絵や装丁を手がけましたが、坪田譲治については『子供の四季』(昭和13年)での成功の後も、坪田の他の作品や『子供の四季』の復刊の際などに、しばしば絵筆をふるいました。
坪田譲治の遺族から当館へ寄贈された油彩の肖像画は、「T君」という題名で小穴が昭和16年の春陽会展へ出品した彼の佳作のひとつです。長年の苦労が報われて文壇で名をなすことができた坪田が、小説家として歩んでゆくみずからの道に、ようやく深い自信とゆとりを得た頃の風貌を、よく写し出しています。色鮮やかなタペストリーのような模様を背景にして、やや地味な色あいの和服と、黒髪や、煙草を持って立てた右腕に光が強く当たっている様子が巧みに描写されていて、臨場感が醸し出されています。壮年期の、気力が充実していた頃の坪田譲治の、目元をかすかに微笑ませた表情が捉えられています。
小穴隆一『T君』(坪田譲治の肖像画、昭和15年頃)
なお、坪田家から当館へ寄贈された書物は、坪田譲治が晩年に児童文学の研究のために自宅の敷地内へ開設した「びわの実文庫」の蔵書となっていたものが大部分ですが、中にはその蔵書印を欠くものもあり、それらについては、はっきりしたことはわかりませんが、譲治の手元にあった可能性も考えてよいかも知れません。
宮沢賢治著、坪田譲治解説、小穴隆一画『風の又三郎』の箱
宮沢賢治著、坪田譲治解説、小穴隆一画『風の又三郎』の表紙
『虎彦龍彦』(昭和23年版)の中にある、小穴隆一の挿絵
添付ファイル
小穴隆一は、俳号を一游亭と称し、俳人としても多彩な活動を行っていたほか、優れた随筆の書き手としても知られています。
坪田譲治の没後に坪田家から当館へ寄贈された多数の坪田譲治の関連遺品の中には、2人の友情を証しするかのように、小穴隆一の随筆集が3冊含まれていたほか、譲治の三男の坪田理基男氏からは、小穴隆一の随筆の原稿が2点、寄贈されています。
豊島区雑司ヶ谷の坪田譲治の書斎にあった二曲の屏風を展示しています。
屏風は、坪田譲治と深い交友のあった作家や画家たちの色紙、短冊、扇面、装丁画が貼り交ぜられたもので、小穴隆一もその中の一人を占めていますが、『子供の四季』の装丁画が用いられている点に2人の関係が象徴されているかのようです。
「雑司ヶ谷の書斎にて」屏風を背にくつろぐ坪田譲治(写真パネルで展示)
二曲貼り交ぜ屏風
電話:086-223-3373 ファクス:086-223-0093
所在地:〒700-0843 岡山市北区二日市町56[地図別ウィンドウで開く]
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