会期:令和3年5月11日(火曜日)から7月7日(水曜日)まで
※月曜及び臨時休館期間(5月16日から6月20日まで)を除く。 ※臨時休館に伴い、会期を延長しました。
開館時間:午前10時から午後6時まで(木曜日は午前11時から午後7時まで)
会場:岡山市立中央図書館 2階視聴覚ホール前展示コーナー
岡山芸術創造劇場の開館予定地である表町千日前にほど近い旧・船着町(ふなつきまち/現在の北区京橋町)に、江戸時代、「経誼堂(けいぎどう)」(経誼書院(けいぎしょいん))という図書館がありました。
今回の企画では、「経誼堂」(経誼書院)に関係する看板、書、肖像画、印判、書籍、笛を展示します。
これらの資料は、平成16年に岡山市の重要文化財に指定されています。(複製の「餓鬼草紙」を除く。)
経誼堂は、江戸時代岡山城下町の豪商で町方惣年寄を務めた河本家が設置した図書館です。
船着町の屋敷内に建てられた書院には、3万冊を超える書物が集められ、その蔵書量の多さは全国に知られていました。
経誼堂は、近隣の町人子弟に講義をする学問道場でもあり、また、全国津々浦々から文人墨客が来訪する文化交流の拠点でもあったようです。
六代・河本立軒(こうもとりっけん/1749-1809)の時代には岡山藩からも正式に認められ、約50年にわたりその活動が続けられました。
民間による公開図書館として先駆的な活動を行った経誼堂は、岡山の文化の発展に大きな役割を果たしました。
当館では、流失散逸を免れた経誼堂関係資料約200点を河本家の子孫等から寄贈を受け、保存しています。
[展示資料]
看板「経誼書院」
書「経誼堂」
展示の様子(2)
河本家は回船問屋として財を成した岡山城下町きっての豪商でした。岡山藩への寄付も盛んに行っており、その功績により、苗字帯刀を許され、代々、町方惣年寄を務めました。
商売の一方で、歴代の当主は文人が多く、三代・河本一居(こうもといっきょ/1660-1747)、四代・河本巣居(こうもとそうきょ/1697-1775)は回船問屋として全国を回る間に、各地の貴重資料や骨董を集めました。
幕府老中を務めた松平定信(まつだいらさだのぶ/1759-1829)が諸国の古宝物を調査して編集した図録「集古十種(しゅうこじっしゅ)」には、古鏡、笙、笛、藤原定家像など、河本家のものが多数収録されています。
立軒の後、文化年間(1804-1818)頃から河本家の経営に陰りが生じます。財産の半分ほどを千石船二艘に積み込んで、大坂で売り立てに出したとき、土佐藩主山内候が、その良質な書籍や珍品の山を見て、国家の至宝を散逸させるのは忍びないと、船のまま買い取ったそうです。
[展示資料]
二代・河本定平 肖像画
三代・河本一居(勝平) 肖像画
六代・河本立軒 肖像画
歌人・河本公輔 肖像画
七代・河本訒軒 肖像画
十代・河本乙五郎 肖像画
現在東京国立博物館に収蔵されている国宝の「餓鬼草紙」は、昭和22年に河本家から国が買い取ったものです。
今回展示しているものは「餓鬼草紙」(河本家本)の複製で大正8年に発行されたものです。元の絵は着色されていますが、こちらはモノクロとなっています。
「餓鬼草紙」は、仏教の教えが説く「六道(りくどう)」の一つ、飽くことなき飢えに苦しむ「餓鬼道」を描いた絵巻で、12世紀後半、平安時代から鎌倉時代にかけて成立しました。
河本家本の「餓鬼草紙」は、10種類の餓鬼の姿が描かれた絵のみですが、曹源寺(中区円山)に伝わり、現在京都国立博物館に収蔵されている曹源寺本の「餓鬼草紙」には詞書があります。
[展示資料]
餓鬼草紙(河本家本・複製)
[展示資料]
河本家の印判(三代・河本一居、四代・河本巣居、六代・河本立軒、七代・河本訒軒)
経誼堂の蔵書はその大部分が流失散逸してしまっており、河本家の子孫から昭和34年に寄贈を受けた資料(「河本文庫」)は、邦楽・茶道・華道・香道関係資料が中心となっています。
[展示資料]
『東山殿御書院飾』
『龍笛譜』
笛
展示の様子(6)
今回の展示にあたり、主に以下の文献を参考にさせていただきました。
添付ファイル
所在地: 〒700-0843 岡山市北区二日市町56 [所在地の地図]
電話: 086-223-3373 ファクス: 086-223-0093