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令和4年度新指定の文化財

[2024年9月11日]

ID:46606

令和4年度新指定の文化財

岩熊八幡宮本殿(いわくまはちまんぐうほんでん)付 厨子2基、金幣1枚、棟札1枚、稲荷社基壇1基 令和4年4月26日指定

いわくまはちまんぐうほんでん

岩熊八幡宮本殿

  • 種別
    建造物
  • 所在
    岡山市東区百枝月
  • 概要                                                                      岩熊八幡宮本殿は、屋根を入母屋造とするやや小規模な三間社である。正側面3方に擬宝珠高欄付きの切目縁をめぐらす。18世紀前期頃の建立とみられる。 祭壇には厨子3基が置かれており、うち両脇の2基は宮殿形で、近世に遡るものとみられる。また、金幣には「奉献上 寛延三庚午年五月吉日」(1750)の銘があり、18世紀前期とみられる建立年代に近い。稲荷社基壇は、本殿の背後にある稲荷社の基壇で、豊島石製切石を組み合わせた基壇にのる。正面に享和2年(1802)の年銘がある。 組物や彫刻なども控えめで派手さはないが、堅実な仕事がなされている建物であり、地域の神社建築を示す事例として貴重である。

                                                                        

釈迦如来立像(しゃかにょらいりゅうぞう)1躯 令和4年4月26日指定

しゃかにょらいりゅうぞう

釈迦如来立像

  • 種別                                                                        重要文化財(彫刻)
  • 所在                                                                    岡山市北区日応寺                                                                                       
  • 概要
    日応寺は養老2年(718)に三論宗寺院として開創され、貞観18年(876)に天台宗に改宗したと伝える。16世紀には日蓮宗に改宗、現在に至る。 本像は髪際で94.0センチメートル(3尺1寸)をはかる、三尺像の範疇に入る像である。右手は施無畏印、左手は与願印をあらわし、蓮華座上に立つ通形の釈迦如来像である。面貌・着衣とも表現を図式的に整理する傾向が見られるが、全般に造像技術は高く、制作年代は鎌倉時代末期、遅くとも南北朝時代初期と位置づけられる。同時期の仏像はしばしばアクの強い表現が目立ち、類型化・俗化する例も多いのに対し、13世紀に流行した張りのある表現を継承しつつ、はなやかさを加えて像容を手堅くまとめ上げている。


玉井宮東照宮随身門(たまいぐうとうしょうぐうずいしんもん)1棟 令和4年12月20日指定

たまいぐうとうしょうぐうずいしんもん

玉井宮東照宮随身門

  • 種別
    重要文化財(建造物)
  • 所在
    岡山市中区東山
  • 概要                                                                       玉井宮東照宮は旧城下町を見下ろす市街地東部、東山山頂に位置する。玉井宮は応徳2年(1085)の創立と伝え、元は小串村光明崎に鎮座していたが、後に現在地に遷座された。東照宮は正保元年(1644)に岡山藩主池田光政がこの地に東照権現を勧請し、玉井宮は南方へ遷座した。明治14年に玉井宮は旧地に戻し、東照宮と合祀した。境内には南から随身門、拝殿、本殿が一直線に並び、随身門の脇に坂中荒神社がある。随身門は本殿・拝殿とほぼ中軸線を揃えて立つ切妻造の八脚門である。構造や装飾は、近世前半の端正な形式である。天井が三棟造で対応する妻飾は二重虹梁蟇股となっている点が古代以来の八脚門の形式を踏襲して興味深い。虹梁絵様も端正で17世紀後期の建立である可能性もある。内部の保存状態は概ね良好であり、18世紀前期の遺構として重要である。                                                                

玉井宮東照宮摂社坂中荒神社(たまいぐうとうしょうぐうせっしゃさかなかこうじんしゃ)1棟 令和4年12月20日指定

たまいぐうとうしょうぐうせっしゃさかなかこうじんしゃ

玉井宮東照宮摂社坂中荒神社

  • 種別                                                                        重要文化財(建造物)
  • 所在 岡山市中区東山
  • 概要                                                                                                                                                         坂中荒神社は、随身門のすぐ内側に立つ小社である。小規模ではあるが組物は出組として蛇腹支輪を設けて手の込んだ造りになっている。庇の屋根は母屋の屋根幅一杯にはとらず、左右各一支ずつ落としている。桁に反り増しがあって近世も早い時期の作と知られる。随身門等と同様丁寧な修理が施されていて、母屋の柱すべてと縁廻り・垂木の一部は部材が取り替えられている。内部は、板扉で仕切って内陣を造り、元禄2年(1689)の「奉遷宮佐々木氏源□□」と記された厨子が安置されている。小規模な建造物であるが、建築年代も明らかであり、丁寧な作りで補修も行われ、保存状態も良好である。岡山市における元禄期の基準資料である。

鳥装人物絵画土器(ちょうそうじんぶつかいがどき)1点 令和4年12月20日指定

ちょうそうじんぶつかいがどき

鳥装人物絵画土器

  • 種別                                                                        重要文化財(考古資料)
  • 所在 岡山市北区御津金川
  • 概要                                                                                                                                                           鳥装人物絵画土器は、岡山市北区御津新庄の小盆地に所在する新庄尾上遺跡で、昭和63年から平成3年に かけて行われた圃場整備事業に伴う発掘調査で出土した。新庄尾上遺跡は、弥生時代中期から後期を中心とした集落遺跡である。鳥装人物絵画土器は、竪穴建物の埋土から出土しており、建物廃絶後に流入したと考えられている。弥生時代中期後半の長頸壺の頸部から肩部に相当する縦9.4センチメートル、横10.9センチメートル、厚さ1.0センチメートルの土器片で、鳥に扮した人物像が鋭利な工具を用いて描かれている。顔を横向きにし、口の位置に嘴を付け、頭部には太めの浅い線で鶏冠状のものが表現されている。弥生時代の鳥のモチーフは、穀霊を運ぶ動物として描かれる例が多く、農耕儀礼において重要な役割を担ったと考えられている。本例は、鳥装のシャーマン的な性格をもつ人物が、神殿とも捉えられる高い建物の前で執り行った儀礼場面を壺形土器に表現したものと推測される。鳥装の人物像を描く絵画土器は、奈良県の清水風遺跡、坪井遺跡、唐古・鍵遺跡、大阪府の星丘西遺跡、鳥取県の角田遺跡で出土しており、いずれも弥生時代中期から後期の時期である。嘴表現まで認められるものは本例のみで、鳥装を写実的に描いた例ということができる。建物を伴う例はさらに少なく、弥生時代の祭祀儀礼の一端を知る上で極めて貴重な考古資料である。

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教育委員会事務局生涯学習部文化財課

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