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岡山市竹原にある。砂川西岸の標高135mの新庄山山頂部に築かれている。この地は、北上すると砂川流域の平野へ、東進すると吉井川へとでることができる要衝の地を占めている。 この城は、岡山市沼の亀山城を居城とした中山信正の支城として築かれたといわれる。後に備前国の東半を支配していた浦上宗景が戦功の恩賞として天文十八年(1549)に宇喜多直家へ与え、直家の居城となった。 城郭は、新庄山山頂部から南にかけてを段状に整形し、幅10mほどの堀切を伴っている。本丸の西側には帯郭もめぐっているが、概して単純な郭構造である。本丸跡には現在石鉄神社がある。城郭外ではあるが、城郭南側の尾根鞍部で土師器の破片がまとまって出土する地点があり、郭以外の遺構が付近に埋没していると思われる。
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