岡山市新庄下にある巨大な前方後円墳で、全国第3位の墳丘規模をもつ大阪府石津丘古墳(伝履中陵)とほぼ同じ規模である。国指定史跡である。墳丘長350
m、後円部径224 m、同高さ32m、前方部長180
mで、くびれ部両側に造出しが付く。前方部前端部と後円部とは7
mほどの比高差があり、整った周濠は存在していなかった可能性が高い。三段築成で、葺石と埴輪が存在する。前方部上の神社脇には、九州産の石材を用いたくり抜き式の長持形石棺の身と蓋の一部がある。前方部前面の小丘陵上には、榊山古墳や千足古墳などの中・小形墳が6基あり、造山古墳に付属する陪塚といわれている。ただし、それらには時期差がある。
本墳の時期は、西暦五世紀の前半頃と考えられる。被葬者については、吉備全体の代表者である吉備大王、日本列島の代表者である倭大王、などが考えられている。いずれにせよ、畿内の大王墓に比定されている巨大な古墳と同列であることは疑いない。本墳の存在は畿内を中心に据えがちな日本の古代史を再考する上で、極めて重要な意味を持っている。なお、後円部頂部にめぐる土塁は、戦国時代末期の「高松城の戦い」の際につくられたものである。
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古墳東側に駐車場あり |
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 |
西川宏「造山古墳」『岡山県史』考古資料 1986年 |
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