岡山市粟井にある。粟井温泉と浮田温泉のほぼ中間の山裾部に位置する。14基ほどの古墳がまとまって古墳群を形成している。そのうち、1号墳、2号墳は規模的にも抜きんでており、古墳群の中心といえる。しかも、両墳の石室には時期差が認められる。おそらく、2世代にわたって規模の大きな古墳を築く勢力を保ち続けたのであろう。1号墳は径20mの円墳で、石室全長12m、玄室の長さ5.5m、同幅2.0m、羨道部幅1.6m、片袖式である。2号墳は径20mの円墳で、石室全長10m、玄室の長さ4.4m、同幅2.4m、羨道部幅1.5m、両袖式である。このほか石室全長が7〜8mのものもある。
本墳の周囲は傾斜の急な山であり、まとまった広さの水田も考えにくい。にもかかわらず、大きな古墳を築いている。その背景には、農業生産以外の理由を求めなければならない。古墳時代後期になると、鉄や塩などの手工業生産が盛んになり、それらを主体的におこなう人々も古墳を築造するようになった。無人島に残る古墳などは、塩生産者の古墳と考えられる。本墳については、おそらく鉄生産と関わりがあったと考えられ、周囲の山間部でおこなわれた鉄生産者の代表者の古墳であったと思われる。
 |
中鉄バス「浮田温泉行き」で「大塚」周辺でおりる。
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村上幸雄「古墳時代後期」『岡山県の考古学』吉川弘文館1987年 |
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墳丘写真(1号墳) |
石室写真(1号墳) |
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