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本殿 |
岡山市一宮にある。備前の一宮である。古代においては備中吉備津神社と同一視されていたようにも思われる。神主職は大守氏によって世襲されている。
鎌倉時代にはいわゆる「曽我兄弟の仇討ち」に巻き込まれて備中吉備津宮の神主も殺害されるという事件もあった。室町時代には備前国守護代松田元成によって焼き討ちにあい、殿舎は焼失した。しかし、江戸時代になると、岡山城主池田氏の尊崇を受け寛文八年(1668)〜元禄十年(1697)にかけて現在の本殿が完成した。
ただし、昭和五年(1930)に失火により、本殿・宝庫・随神門だけを残し消失した。現在の社殿はその後復旧されたものである。なお、当社に関する古文書は『吉備津彦神社史料』としてまとめられている。
本殿(県指定重要文化財)
桁行三間、梁間二間、一重、屋根は前面の屋根が長くのびた流れ造で檜皮葺である。柱はケヤキ材の円柱で、柱間の中備には五七桐もしくは一六弁の菊の彫刻を入れた蟇股をおき、屋外の軒先には、外側へふくらむ蛇腹支輪を架ける。周囲には擬宝珠高欄付の縁をまわし、正面には木階を備え、それぞれの階に真鍮製の紋章を打ち込んでいる。建物の正面に相当する向拝は三間である。
内部は前の一間通が外陣、奧の一間通が内陣に区画され、内陣は床を高くして、中央に神霊を安置している。
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本殿(参考文献より引用) |
随神門(市指定重要文化財)
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随神門 |
門の正面の柱間が三つある三間の門で、その中央の柱間に戸が設けられていることから三間一戸である。扉を支える柱と柱を結ぶ線を扉筋といって、扉筋にある柱を本柱といい、本柱前後の補強用の柱を控柱という。この控柱の数が合計して8つであることから、当門は三門一戸八脚門といえる。切妻造で本瓦葺である。
子安神社社殿(市指定文化財)
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子安神社社殿 |
吉備津神社の摂社で、岡山藩主池田光政の健康を祈願して建立されたとされる(『吉備津彦神社社記』)。元禄一六年(1703)の建築。奧の本殿は桁行一間、梁間一間で前面の屋根が長く伸びた流れ造の檜皮葺である。花崗岩製の亀腹に建てられ、蟇股の形状や高欄柱の擬宝珠などに桃山期の様式が残されている。
手前の拝殿は桁行三間、梁間二間で入母屋造の檜皮葺である。
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子安神社社殿(参考文献より引用) |
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位置 |
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JR吉備線「一宮駅」下車、徒歩10分 |
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巌津政右衛門『岡山の建築』日本文教出版株式会社 1967年
岡山県教育委員会『岡山県の近世社寺建築』 1978年
根木 修『吉備地域における檜皮の調査』吉備古建築修復資材調査検討委員会 2001年 |
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