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足守藩は、豊臣秀吉の正室の「ねね」の兄である木下家定を藩祖にし、初期に一時の中断があったものの、木下家が明治維新まで13代にわたって、藩主でした。17世紀の後寄りに完成をみた足守陣屋町は、城構(しろがまえ)こそないものの、藩主の屋形構(やかたがまえ)を中心にして城下町と同じような町づくりになっていて、小城下町を形づくっているといえます。そして、その象徴を、屋形構の奥手に設けてある大名庭園の「近水園(おみずえん)」に、見ることができます。近水園の築庭時期は、記録からは定かでありませんが、6代藩主の木下 近水園は、屋形構の背後の御殿山(宮路山)を背景にした小堀遠州流の池泉回遊式の庭園で、5,500平方メールの園地の外寄りに園池を設け、池内に蓬莱島を兼ねた亀島と鶴島の2島を配置しています。池のほとりの山際には数寄屋造りの吟風閣(ぎんぷうかく)が建ち、この庭園主要建物は、木下 吟風閣からの庭園の眺めは、足守川を隔てた宇野山を背景にした眺望が開け、大名庭園のだいご味を今も堪能することができます。
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(岡山市教育委員会元文化財課長 出宮徳尚) | ||||
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