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1899年 |
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岡山県和気郡伊里村穂浪(現在の備前市穂浪)に農業藤原伊三郎、世為の三男として生まれる、本名敬二 |
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1913年 |
伊里尋常高等小学校卒業、私立閑谷中学校入学 |
1915年 |
博文館の「文章世界」に短文を応募し1等となる、郷里の先輩正宗白鳥や徳富蘆花に影響され、また西条八十に憧れ詩も書くようになる |
1928年 |
生田春月と共著「ハイネの訳詩集」を新潮社より出版、再び博文館に帰り「婦人之国」編集に携わる |
1938年 |
穂浪在住の正宗白鳥の弟で万葉学者の正宗敦夫から、備前焼を焼くことを勧められる、敦夫の世話で穂浪から伊部の窯場に通う陶工三村梅景を知り、築窯、原土の入手、ロクロ成形などの指導を受ける |
1939年 |
春、初窯を焚く |
1948年 |
国の指定による丸技作家の資格を受ける、この時資格を得られたのは備前焼では金重陶陽、山本陶秀、藤原
啓の三人だけであり、作陶一筋の決意を固める |
1954年 |
春、北大路魯山人のあっせんにより、個展(日本橋高島屋)、岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定される |
1956年 |
日本工芸会正会員に推される |
1958年 |
日本工芸理事に推される、以後35年まで理事を勤める |
1970年 |
4月25日、文化財保護委員会から「備前焼」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される |
1972年 |
春、勲四等旭日章を受ける、9月第19回日本伝統工芸展の鑑査員となり「備前大壺」を出品 |
1973年 |
岡山県から三木記念賞を受ける、9月第20回日本伝統工芸展の鑑査員となる |
1975年 |
迎賓館に「備前水指」「備前花入」を納める、9月第22回日本伝統工芸展の鑑査員となる |
1979年 |
1月「傘寿記念展」(岡山天満屋、姫路、山陽、日本橋高島屋)を開催 |
1983年 |
11月12日、肝臓ガンのため岡山大学付属病院にて死去
同日、勲三等瑞宝章を受ける |
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