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常の花(つねのはな)
本名・山野邊寛市。第31代横綱。12歳の時に出羽海部屋に入門。大正6年5月入幕、9年5月大関、翌年夏場所は10戦全勝で初優勝、12年夏場所に9勝1分1預で2度目の賜杯、13年春場所で横綱。昭和5年夏場所に引退。幕内在位34場所、幕内成績221勝58敗14分68休。優勝10回(うち全勝3回)。その力士としての土俵は生気撥刺敏捷無比絢爛たる相撲ぶりにその美貌と相俟って一代の人気を博した。引退後は年寄藤島、出羽海を襲名、昭和19年から32年まで理事長。
略歴
明治29年
11月23日 岡山市西中山下に生まれる。
本名 山野邊寛市 父 六三郎 母 カツの長男明治42年
8月
当時の岡山師団長 一戸兵衛大将の紹介で出羽海部屋に入門 明治43年
1月
初土俵 力士名は「常ノ花」
当時横綱は東 常陸山 西 梅ヶ谷大正
4年
5月
十両に昇進 大正
6年
5月
入幕 6勝3敗1預り 大正
8年
1月
関脇に昇進 大正
9年
5月
大関に昇進 大正10年
5月
初優勝 10勝全勝 大正12年
5月
優勝 9勝1分1預り 大正13年
5月
横綱に昇進 5勝2敗2分1預り 大正15年
1月
優勝 11勝全勝 昭和
2年
3月
優勝 10勝1敗 5月
優勝 10勝1敗 10月 優勝 10勝1敗 昭和
3年
5月
優勝 11勝全勝 昭和
4年
5月
優勝 10勝1敗 9月
優勝 8勝3敗 昭和
5年
3月
優勝 10勝1敗 5月
引退 力士時代 優勝10(東京6回、関西場所4回 内全勝優勝3回)
年寄 藤島を襲名昭和
6年
1月場所の役員選挙で検査役に当選 昭和19年
1月場所後 協会理事長に推された。以後、優れた政治力をもって 天竜事件の解決、戦後の混乱期の克服等、数々の業績を残し、現在の相撲協会の隆盛の基礎を築いた。 昭和24年
1月10日
先代出羽海死去、出羽海を襲名 昭和31年
6月10日
還暦祝いの土俵入りを蔵前国技館で行う。
太刀持 時津風(元双葉山)、露払 千代の山(当時横綱)昭和32年
5月
理事長を退き相談役となる。 昭和35年
11月28日 九州巡業同行先の福岡県筑紫郡筑紫町二日市にて病死 64歳
同日 勲三等瑞宝章に叙される。12月26日 東京蔵前国技館で協会葬に付される。
※昭和61年6月 妻 山野辺静代氏、長男 山野辺行也氏から郷土資料として多数の寄贈を受ける。
- 御下賜杯優勝模杯 10個
- 全日本力士選士権大会優勝杯 2個
- 叙勲詔書 1点 銀杯 4個 陶杯 1個
- 化粧まわし銀飾り 3点外 写真等