岡山市北区南中央町9番先
西川河畔
城の南西にあった侍町です。池田光政が鳥取から岡山へ来た寛永九年(1632)以前から侍屋敷七軒があったためこの名がついたといわれます。
町の西川端には藩主用のいけすがありました。