ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

スマートフォン表示用の情報をスキップ

岡山歴史のまちしるべ多言語版(H03旧カネボウ綿糸西大寺工場跡地)

[2020年1月16日]

ID:19992

原佳丽宝(Kanebo)棉线西大寺工厂旧址

舊佳麗寳(Kanebo)綿絲西大寺工廠遺址

구 가네보 면사 사이다이지 공장 철거지

旧カネボウ綿糸西大寺工場跡地

原佳丽宝(Kanebo)棉线西大寺工厂旧址

“西大寺纺织”于明治29年(1896),由西大寺村与附近豪商共同设立,后于明治44年(1911)被编入合并至“钟渊纺织”,开始作为钟纺西大寺工厂进行运转。
在第2次世界大战期间,名古屋及大阪等地的大型工厂纷纷遭袭,此处工厂却完好无损,成为支撑战后日本棉线生产的著名工厂。
昭和52年(1977),棉纺织部门从“钟纺”独立,创立“佳丽宝(Kanebo)棉线”。
此后,工厂于平成6年(1994)关闭,使用原厂址,举办了平成21年(2009)全国都市绿化节。

舊佳麗寳(Kanebo)綿絲西大寺工廠遺址

明治29年(1896年)西大寺村和其附近鄉村的有勢力者設立了西大寺紡織,明治44年(1911年)被鐘淵紡織編入合併,作為鐘紡西大寺工廠開始作業。
在第2次世界大戰中,名古屋和大阪等的大型工廠受災,但鐘紡西大寺未受到破壞,成為戰後支持日本綿紗生產的主要工廠之一。
昭和52年(1977年),綿紡織部門從鐘紡主體分離,成為佳麗寳(Kanebo)棉絲。
之後,該工廠於平成6年(1994年)關閉,但平成21年(2009年)在其遺址舉辨了全國都市綠化博覽會。

구 가네보 면사 사이다이지 공장 철거지

1896년에 사이다이지무라 촌과 가까운 곳의 유력자에 의해 설립된 사이다이지 방적 회사는 1911년에 가네부치 방적에 편입 합병되어 가네보 사이다이지 공장으로 조업을 시작했습니다.
제2차 세계대전에서는 나고야와 오사카 등 대공장이 전화를 입었지만 온전하게 남아 전쟁 후 일본의 면사 생산을 뒷받침하는 굴지의 공장이 되었습니다.
1977년 가네보 본체에서 면방직 부문이 분리되어 가네보 면사가 되었습니다.
그 후 1994년에 공장이 폐쇄되었지만 공장 터에서 2009년 전국 도시 녹화 페어를 개최했습니다.

旧カネボウ綿糸西大寺工場跡地

明治29年(1896)西大寺村とその近在の有力者により設立された西大寺紡績は、明治44年(1911)に鐘淵紡績に編入合併され、鐘紡西大寺工場として操業を開始しました。
第2次世界大戦では、名古屋や大阪などの大工場が被災するなか、無傷で残り、戦後の日本の綿糸生産を支える屈指の工場となりました。
昭和52年(1977)鐘紡本体から綿紡織部門は分離しカネボウ綿糸となりました。
その後、平成6年(1994)に工場は閉鎖されましたが、跡地では平成21年(2009)全国都市緑化フェアが開催されました。

お問い合わせ

政策局政策部事業政策課

所在地: 〒700-8544 岡山市北区大供一丁目1番1号 [所在地の地図]

電話: 086-803-1042 ファクス: 086-803-1846

お問い合わせフォーム