Former Katsuragi Village
旧葛城村
舊葛城村
옛 가쓰라기촌
Long ago, 18 villages that included Kunigahara, Kawataka, Yamaguchi, and Nabetani were named “Katsuragi-no-Sho”, taking its name from the place where Katsuragi Iwanohime-no-Mikoto, the empress of Emperor Nintoku, lived (the residence of the imperial family).
In 1890, when the villages of Yoshitani, Kunigahara, and Kawataka merged, the resulting village was named Katsuragi as a nod to the Empress, being from the Katsuragi family.古时候,国原村、川高村(河高村)、山口村及锅谷村等18个村子是仁德天皇的皇后葛城磐之姬命的御名代之地(冠以王族宅邸名称的地方),被称为“葛城庄”。
明治23年(1890),芳谷村、国原村和川高村合并之时,因皇后出自葛城家,所以冠以葛城村之名,以作纪念。很久以前,國原村、川高村(河高村)、山口村、鍋谷村等18個村落,是仁德天皇的皇后葛城磐之姬命的御名代之地(冠以王室宅邸名的地方) ,被稱為「葛城莊」。
明治23年(1890) ,芳谷村、國原村、川高村合併時,因皇后出身於葛城家,因而冠名葛城村以玆紀念。그 옛날 구니가하라, 가와타카, 야마구치, 나베타니 등 18개 촌은 닌토쿠 천황의 황후인 가쓰라기 이와노 히메노 미코토가 살았던 곳에서 따온 이름을 붙인 곳으로 ‘가쓰라기의 영지’라고 불렸습니다.
1890년 요시타니촌, 구니가하라촌, 가와타카촌이 합병할 때 가쓰라기 가문 출신이었던 황후의 이름을 따서 기념하기 위해 가쓰라기촌이라는 이름이 붙여졌습니다.その昔、国ケ原村、川高村(河髙村)、山口村、鍋谷村など18ケ村は、仁徳天皇の皇后である葛城磐之姫命の御名代の地(王族の居所にちなんだ名を冠した場所)であり、「葛城荘」とよばれていました。
明治23年(1890)、芳谷村、国ケ原村、川高村が合併する際、皇后が葛城家の出であったことから、その名前を用いることで形見とするため葛城村となりました。
昭和28年(1953)以降、昭和の大合併で、御津郡金川町、牧山村、宇垣村、宇甘東村、宇甘西村と赤磐郡の葛城村、五城村及び布都美村の一部が合併して御津町となり、「葛城」という地名は使われなくなりましたが、今もこのコミュニティハウスの名称として残されています。
所在地: 〒700-8544 岡山市北区大供一丁目1番1号 [所在地の地図]
電話: 086-803-1042 ファクス: 086-803-1846