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市長の大盛コラム(第5回)令和7年2月

[2025年1月28日]

ID:68036

岡山市長 大森雅夫の大盛コラム 躍動するまち おかやまの「今」をお届けします

葬られた歴史を救い出す その1

~古代吉備は、大和王権と同等の権威と権力を持っていた~

 私は市長に就任して以来、歴史を活用した地域の活性化を目指し、ふるさと岡山の歴史を研究してきました。私の研究を歴史学者に話してみると、「そういう視点もある。」とうなずいてくれます。古代吉備と戦国宇喜多家のことです。今回は、古代吉備のお話をしたいと思います。

 中学校の教科書には、「3世紀後半から6世紀後半まで大和王権が日本の中心だった。」と書いてあります。しかし、私は、「古代吉備は大和と同等の権威と権力を持っていた。」と考えています。

 なぜなら、岡山市北区にある造山古墳は、5世紀初頭に築かれた当時は日本最大級であり、しかも、その形と大きさは、同時期に築かれた大和王権の大王墓である履中天皇陵古墳(大阪府堺市)とほとんど同じなのです。そして、古墳の形や大きさは、埋葬された人物の権力と権威の大きさを示すものだからです。また、造山古墳やその近くにある千足古墳では、遠く讃岐や熊本、天草から運ばれた石材が使われており、このことは、これらの地が吉備に帰属していたことを示しているからです。

 それでは、なぜ中学校の教科書には「古代吉備は大和と同等の権威と権力を持っていた。」と書かれていないのでしょうか。

 私は、後世の権力者である藤原不比等が、「皇室が万世一系であること」が揺らぐのを防ぐために、また、吉備と密接な大化の改新で敗れた蘇我氏を悪者にするために、吉備を歴史から葬ったのではないかと考えています。

 「古代吉備は、大和と同等の権威と権力を持っていた。」市民の皆さんには、ぜひこのことを誇りに思ってほしいと思っています。

 そして、造山古墳は、登ることができる全国で唯一の超巨大古墳です。また、近くにある千足古墳では横穴式石室の内部を見ることができます。さらに、古代吉備のことがよく分かる造山古墳ビジターセンターも設置しています。 

市民の皆さん、そして、日本全国の皆さんには、ぜひ造山古墳を訪れ、古代吉備に思いを馳せていただきたいと思います。

造山古墳の画像

造山古墳

岡山市長 大森雅夫の大盛コラム(第5回)

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