私は市長に就任して以来、歴史を活用した地域の活性化を目指し、ふるさと岡山の歴史を研究してきました。前回は、古代吉備についてお話ししました。今回は、戦国宇喜多家のお話をしたいと思います。
宇喜多直家は、知略に優れ、裸一貫・ゼロからスタートして、一代で備前・美作2か国50万石を領有する大大名になりました。自ら荒地を耕し、食糧不足の折には部下とともに絶食するなど、部下思いの面もありました。また、山城が主流の時代に平地の岡山に城を築き、山陽道を付け替えて商人を呼び寄せ、城下町の礎を築くなど、先見の明を備えていたのです。
直家は、斎藤道三、松永久秀と並ぶ戦国三大梟雄(残忍で勇猛な人物)の1人といわれてきました。しかし、そのイメージは、江戸時代に上下関係を重んじる儒学的視点から、敗者である直家を悪役のように語り伝えたことで始まったものに過ぎないと考えています。直家が浦上氏を追放したのは、備前国の領土と領民を守るためであり、戦乱の世においては1つのやり方だったのではないでしょうか。
直家の妻・おふくの方は三国一の美人といわれており、直家とは、当時にはめずらしい恋愛結婚であったと言われています。また、直家の死後は事実上の「女城主」として宇喜多家を切り盛りしていたともいわれます。
直家の子・秀家は、大陸出兵で総大将として活躍しました。義にあつく、関ヶ原の戦いでは豊臣五大老の中で唯一、豊臣のために西軍の主力を率いて戦いました。
秀家の妻・豪姫は、豊臣秀吉の養女であり、秀家が関ヶ原の戦いで敗れて逃げる際、危険を顧みず豪姫と敵地の大阪で会ったという逸話があります。秀家と豪姫は、それほどまでに深い愛情で結ばれていたのです。
岡山市は、戦国宇喜多家の魅力を全国に向けて発信すべく、戦国宇喜多家の大河ドラマ実現を目指して活動しています。市民の皆さんには、大河ドラマ実現の応援をお願いするとともに、戦国時代の岡山に知略に優れ、人間味にあふれたすばらしい人々がいたということを、ぜひ誇りに思っていただきたいと思います。
岡山市長 大森雅夫の大盛コラム(第6回)
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