或日、おとうさんが大きな貝がらを見て、じっと考えこんでいました。時々それを耳にあてたりしていました。貝はサザエのような形で、もっともっと大きいものでした。で、正太がききました。
「お父さん、どうしたのですか。」
と、お父さんがいいました。
「これを見てると、南の島のことが思われる。今でも、遠い島にいるような気がするよ。」
おとうさんはせんちょうだったのです。戦争の時、船に乗って南方へ行きました。とちゅうで船は沈みました。やっとイカダに乗って、近くの島へ流れつきました。島には土人がヤシの木をうえて暮しておりました。そのヤシの実をもらって、お父さんは命をつなぎ、島のおくの森の中にかくれて助け船の来るのを待っていました。助け船はなかなか来ませんでした。おとうさんは少しのヤシの実と島のきねんにその貝とを持って、船に乗りました。
ヤシの実は途中で食べてしまいました。それで貝がらだけをオミヤゲに、正太とおかあさんのまってる日本へかえって来ました。貝は南の海の荒い波に洗われ、その強い日光にさらされて、白くカラカラになっていました。しかし耳にあてると、ゴウーウ……というような音が聞えて来ました。で、おとうさんがいうのでした。
「正太、聞いてごらん。これが、島のおくの森の中で、おとうさんが毎晩毎晩聞いていた波の音なんだよ。この音をききながら、おとうさんは日本のことを考えていた。今頃おかあさんや、正太はどうしているだろう。生きてるだろうか、死んでるだろうか。どうか、二人の生きてるうち、おとうさんも生きて日本へかえりたいものだ。」
正太は貝に耳をあてました。ホントウにさびしい音が聞えて来ました。
「ゴウ………。」
これを聞くと、正太はおとうさんが気のどくでなりませんでした。それで、
「おとうさん、こんな波の音を聞いていると、ずい分さみしかったでしょう。」
そういったのです。と、おとうさんが、
「そうだよ。それだから、おとうさんは、この貝がらをもって来たんだよ。おとうさんばかりではない。南方にいた何万、何十万という日本人が、みんなこの波の音をききながら、一生けんめい国のことを思っていたんだよ。どうか、生きて国へかえりたい。国へかえって、もう一度家の人にあいたい。それができれば、どんなくろうでもしのぶと、そう考えない人はなかった。」
そういうのでした。で、正太がいいました。
「おとうさん、そんなさみしい波の音のするものを、おとうさんはどうしてもってかえられたんですか。」
おとうさんがいいました。
「それだよ。おとうさんは、この波の音を聞いていた時のことを思えば、どんな苦しいことでもしのべるんだよ。だから、時々それを思い出して、しあわせな今頃だと考えなおして見ることにしている。それからまた、あのさみしい波の音を二度と再び日本人が聞くことのないように。そうだよ。日本人が戦争などということを、二度とすることのないように、誰にも彼にもすすめたいと思って、この貝がらをもってかえったんだ。」
所在地: 〒700-8544 岡山市北区大供一丁目1番1号 [所在地の地図]
電話: 086-803-1054 ファクス: 086-803-1763