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三平の夏

[2020年6月18日]

ID:22668

三平の夏

 小学二年生、元気な三平は夏休みになると、お母さんにつれられて、鵜飼のおじさんの処へ出かけた。おじさんの家では美代子が病気で床についていた。三平は去年の夏、この鵜飼の家にあずけられて、美代子に世話をやかした記憶が頭の中に帰って来て、美代子が奥の間にいると聞くと、直ぐその方へ駆けていった。
 「美代子チャン、どうしたんだい。何でねてるの。」
 小学校六年にもなる美代子であったが、病気には勝たれない。唯だニッコリして、三平を迎えた。
 「え、どうして、ねてなんかいるんだい。」
 悪気なんかミジンもないのだが、三平の口は尖り、ついこんな質問になる。
 「病気だからよ。」
 美代子が弱々しく答える。
 「病気?ふーん。」
 三平には病気がさも不思議そうである。
 「そうかあ、病気なのか。それでねてるのか。早く起きればいいじゃないか。」
 「だって、そうゆかないわ。直らなければ起きられないじゃないの。」
 「ふーん。」
 三平は何を言っても感心する。然し彼は美代子の枕もとにまだ立ったままなのである。
 珍しそうに美代子の顔から、かけられた蒲団などを眺め入っている。
 「三平チャン、大きくなったわね。」
 美代子が言う。
 「そうさあ、僕もう八つなんだよ。来年は九つ、さ来年は十だあ。」
 「へえ、そうなるの。」
 そう言われると、三平は戸まどいした。
 「あれっ、そうならないの。だって、八つの次は九つでしょう。つぎは十、十じゃないか。」
 こんなことを言われて、美代子はつい吹き出してしまった。
 「ホホホホホ、三平チャンは相変らず面白いのね。」
 「面白いさあ。僕、去年、池の側で河童を見ようと思ったけれど、とうとう見ずにしまったでしょう。僕んちの村の友達に河童の話してやったんだけど、金チャン鶴チャンなんか、どうしても河童いないって言うんだよ。此度は必ず河童見てゆくつもりだ。約束してんだもの。行って来うっと。」
 もう三平は山の池の方に行きそうにするのである。
 「ダメッ、三平チャン、あんたまたそんなこと言い出した。去年のこともう忘れたの。池の河童見るって、私をずい分困らせたじゃないの。そのあげく、村の大騒ぎになったじゃないの。あんたがいなくなったって、大騒動して索していたら、押入ん中でグウグウグウグウ眠っていて―。」
 斯う言われて三平も文句はない。仕方なく、そこにあぐらをかいて、
 「だけど、美代子チャンねていてつまんないじゃないか。」
 と言うのである。
 「でも、もう起きるわ。そうね、明日、いえ、明後日、きっと明後日は起きるわ。そうしたら面白いことして遊びましょうね。」
 言った通りに美代子は病気を直して床をあげた。
 そして今日は幸介を加えて三人、家の後の物置の処で遊んでいる。
 昨夜鵜飼のおばさんから聞いた山姥の話を遊戯にしているのである。
 まず三平が子供になる。物置の薪の上に腰かけている。美代子は山姥になって、彼方の松の樹の下に隠れている。幸介はおじいさんで、今これから町に出かける処である。
 「子供、子供。」
 幸介のお爺さんが、物置の戸を開けて、三平に言いかける。
 「お爺さんはこれから町へ出かけるぞ。留守の間に、どんな人がやって来ても、決して内へ入れるでないぞ。誰が来ても、決して戸なんか開けるでないぞ。」
 「ウン、ウン。」
 三平はうなずいて見せる。
 「いいかい。解ったかい。」
 「ウン、ウン。」
 幸介さんは杖をついて、ソロリソロリと、家の彼方へ歩いてゆく。
 それを見送った三平は物置の戸をしめて、中で機を織り始める。
 キコバタトン、カランコ、カランコ、
 キコバタトン、カランコ、カランコ。
 大きな声で三平が言うのである。この声を聞くと、松の陰から山姥の美代子が顔をのぞける。
 「どうやら爺さん、町へ出かけて行ったらしい。どれどれ、後の子供を御馳走になるとしよう。」
 美代子は両手を顔の高さにあげ、指を開いて、向うに摑みかかるような形をする。そして物置の戸の前にやって来る。中では三平の子供が遠い山の上まででも聞える大声をあげて、キコバタトンをやっている。
 「トン、トン、トン。」
 山姥は物置の戸を叩く。
 「トントン叩くは誰ですか。」
 三平がたずねる。
 「私はお前のお母さん、早くこの戸をあけてくれ。」
 「いいえ、いいえ、いけません。お爺さんが町から帰って叱ります。誰が来ても戸を開けるな。中に入れてはならないと言いました。」
 これを聞くと、山姥の美代子は首を傾げてひとりごとを言うのである。
 「うまいことを言ってるぞう。さてさて、これはどうしたものか。一まず出直してくると、致しましょう。」
 美代子は引返して、松の樹を一廻りし、また物置の戸を叩きにやって来る。
 「トン、トン、トン。」
 そこで三平が大きな声で聞き返す。
 「誰だッ。トントン叩いてんの山姥かい。」
 「ダメッ、三平チャン、トントン叩くの誰ですかって、小さくやさしく訊くんじゃないの。」
 美代子が言う。
 「あッそうかあ。じゃ、キコバタトンから始めるよ。」
 三平は大変な声で始めた。全く山の頂上まで届くような声である。
 「キコバタトン、カランコ、カランコ。」
 そこで山姥が戸を叩く。
 「トン、トン、トン。」
 「トントン叩くは誰ですか。」
 「私はお前のお母さん、早くこの戸を開けてくれ。」
 「いいえ、それはできません。お爺さんが帰って叱ります。」
 「それではここを少うし開けて、ホンのこの手の入るほど。」
 「いいえ、手の入るほどでもいけません。やっぱりお爺さんに叱られる。」
 そこで山姥が首を傾げてひとりごとを言う。
 「はてさて、困ったことである。また出直して参りましょう。」
 美代子は松の樹の処に引返し、そこを廻って、また物置に出かけてゆく。
 「トン、トン、トン。」
 と、中では三平が愉快そうに笑い出す。
 「ハハハハ、また山姥がやって来たぞ。」
 「ダメッ三平チャン。」
 美代子に叱られて、三平が言い直す。
 「ハイ、山姥さんいらっしゃい。お爺さんに叱られるので、この戸は少しも開けられません。手の入るほども開けられません。」
 おかしさを堪えながら、外では美代子が言うのである。
 「それでは指の入るほど、ホンの少うし開けて頂戴。」
 「指かあ。指くらいなら開けてやってもいいんだが、開けると、美代子チャン怒るだろう。だから、やっぱり開けられないや。」
 それでも、山姥美代子はまた松の樹の処へ帰って来る。と、丁度その時そこへ鵜飼のおばさん、美代子の母がやって来た。手にハガキを持っている。
 「あ、美代子チャン、大急ぎでこのハガキ出して来て頂戴。」
 「え、ハガキ、じゃ、そこへ置いといて。今山姥遊びやってるんだから、すんだら、直ぐ出しにゆきます。」
 「だって、大急ぎなんだから。」
 「そうお。」
 そう言うと、美代子はハガキを貰って、三平の処に相談に出かける。
 「三平チャン、私、一寸ハガキ出してくるからね。五分ほど待ってて直ぐ来るから。」
 「ハーイ。」
 美代子はポストへ駆け出した。三平は物置の中でカランコ、カランコ、キコバタトンをやり始める。然し、一寸と言っても、やはり中々美代子は帰って来ない。
 「いやんなっちまうな。もう山姥遊びやめようかしらん。」
 首を傾けて三平が言っていると、これも退屈になって来た幸介が家の蔭から出て、三平の処へやって来る。
 「三平チャン、どうしたんだい。」
 「ウン、美代子チャンハガキを出しに行ったんだ。」
 「ふーん。じゃ、一寸タイムなんだね。」
 「ウン。」
 そこで幸介も物置に入り、
 「やーい、山姥―、早く来オーい。」
 などと声を合して呼んで見たりする。然しやっぱり山姥美代子は中々やって来なかった。そこでつい二人はいいことを思いついた。
 まず三平が言ったのである。
 「なあ、幸介チャン、山姥に僕とられることになるんだろう。だけど、それより山姥を退治する方が面白いじゃないか。」
 「ウン、そうだ。その方がずっと面白いや。」
 「じゃね、二人でここに隠れていてさ。こんど美代子ちゃんがやって来たら、山姥退治することにしよう。」
 「ウン、ウン。」
 二人の相談はきまった。それでは―というので、外から二本の竹の棒をさがして来たり、長い縄を持って来たりした。そして二人物置の中に、戸をしめて隠れていた。
 「ハーイ、唯今、ハガキ出して来ました。」
 家の方で美代子の声を聞くと、二人は物置の中でクックッ笑い合い、それから首を縮めて忍んでいた。松の樹の辺りに美代子の足音を聞くと、三平が泣き真似を始めた。
 「アーン、アンアン、山姥が怖い。山姥が怖い。山姥が来て、僕をとって食べるウ。アンアン。」
 これを聞いて、美代子は元気が出て来た。どうやら大変面白くなって来た。
 「トン、トン、トン。」
 ニヤニヤしながら、戸を叩く。
 「私はお前のお母さん、この戸を少うし開けてくれ。手の入るほど開けてくれ。指の入るほど開けてくれ。」
 「いえいえそれはいけません。お爺さんに叱られます。」
 「それでは爪のかかるほど、ホンの少うし開けてくれ。」
 と、中で、三平と幸介は顔を見合せた。
 「え、どうするんだっけな。」
 三平が小さい声で幸介に訊いた。
 「開けるンだよ。ホンの少し開けるんだよ。」
 幸介が言うのである。が、声が小さく、三平は耳を幸介の口の方へ持ってゆく。外では美代子がトントンやっている。
 「早くこの戸を開けてくれ。私はお前のお母さん、爪のかかるほど開けてくれ。」
 そこで、中の二人は互に縄と棒を手に持って、戸の両側に身を縮め、そろりと、戸を手のかかるほど引き開けた。戸が開くと、それに手をかけ、美代子は思いきり恐ろしい顔になり、出来るだけ恐ろしい声を出した。
 「おうおうおう、わたしは恐ろしい山の山姥だあ。子供を食べにやって来たあ!」
 戸を引き開けて、中に足を踏み入れた。これを見ると、中の二人は大声をあげた。
 「わあーッ。」
 そして両方から美代子の手をとり、その帯に縄を結んだ。
 「山姥退治だあい。」
 「山姥を生捕ったあい。」
 「ダメ、幸介チャン。三平チャンもいけません。それじゃ、遊戯にならないじゃないの。」
 美代子は言ったが、二人は遊戯にならなくてもいい。
 「山姥来い。こっちへ来い。」
 と、松の樹の処へ引き立てた。
 「お、三平チャン、この松の樹に山姥をくくろう。」
 「ウン、くくり付けよう。」
 「だって、それじゃ約束が違うじゃないの。」
 美代子が言っても、得意になった二人は承知しない。
 「ウン、いいんだよ。違ったって構わないんだ。」
 そしてとうとう、美代子は松の樹にくくり付けられた。その上、幸介が言うのであった。
 「この山姥、とっても悪いんだよ。今迄、何人子供をとって食べたか解かんないんだよ、これから三平チャン、二人で裁判してやろう。」
 「ウン。」
 「やい、山姥。」
 幸介は竹の棒で松の樹の幹を激しく叩き、大声で訊き始めた。
 「お前はどこに住んでんだい。」
 仕方ない。美代子はくくられたまま返事を始めた。
 「ハイ、山の奥の、そのまた奥の、森の奥のそのまた奥の、小さな古い藁屋の中です。」
 「フン、何を食べて生きている。」
 「ハイ、鳥をとったり、兎をとったり。人間の子も時々とります。」
 「フン、いかん。どうもいかん。ね、三平チャン、どうもいかんね。」
 幸介はヒゲをひねる真似をして、三平に言いかける。三平もこれを見て、ヒゲをひねる真似をして言うのである。
 「ウン、いかん。それはいかんね。」
 「じゃ、どういう裁判にしようか。」
 「ウン、これからは悪いこと致しませんと言ったら許してやることにしようか。」
 「ウン。」
 そこで幸介はまた竹の棒で松の樹を叩いて、
 「やいッ。」
 そして両足を左右に拡げて、棒を右手でドシンと土につき、おごそかに言った。
 「これから悪いことは致しませんと言え。」
 が、山姥は言った。
 「いやッ。」
 二人はこれを聞いて暫らく首を傾け傾けした。どうも、こんなことになると、どうしていいか解らなくなるのである。
 「フン、フン。」
 二人はヒゲをひねり、しきりにフンフン言う。が、山姥が言うこと聞かない以上、もう裁判のしようがないのである。
 「どうしよう。」
 幸介は弱って、三平に相談する。
 「ウン、山姥はきっと家(うち)ん中に宝物を沢山持ってるに違いないよ。それをこれから行って、分捕ってくることにしよう。これで許してやることにしよう。」
 これは名案である。
 「それがいい。そうしよう。」
 幸介も大賛成。山姥も異存はない。
 「宝物なら沢山あげるわ。金銀サンゴ、アヤ、ニシキ持ってんだから。」
 美代子が言う。そこで縄を松の樹からといて、その両端を二人はとり、腰に竹棒の刀をさし、美代子を先に立てて出発した。
 「ハイ、ここが私の家です。」
 家の周囲をグルグル廻って、山姥のつれてった処は、土蔵の前、その石段の下であった。
 「へえ、これは変な処だなあ。山姥の家って、こんな処なのか。」
 三平が不思議がる。
 「だって、山姥の家なんだもの。」
 美代子は言って、石段の下に、土の上にころがっている小石を二つ拾い上げる。
 「ハイ、これが金と銀。」
 そう言って、幸介と三平に渡してくれる。
 「へえ、変な金と銀だなあ。」
 幸介も不思議がる。然し美代子は
 「ハイ、これがアヤとニシキ。」
 つづいて瓦の破片を二枚二人に渡してくれる。二人は石と瓦をポケットに入れたが、どうも気持が変なのである。
 そこで三平が言う。
 「金や銀は光っているものなんだろう。」
 「そうだ。光ってなけゃだめだ。ね、山姥さん、光ってる金か銀を下さいませんか。」
 幸介が言う。で、またそこを出発する。あそこか、ここかと、菜園の方へ出たり、庭の木の下から下へ歩いたりする。
 「山姥の家って、中々遠い処だなあ。」
 三平も幸介も歩くのに少し疲れて来る。
 「山姥さん、金や銀はもういいから、アヤかニシキだけでもくれませんか。」
 とうとう三平が言い出した。では―というので、山姥は玄関から縄をつけられたまま、家の中に上って行った。そして此度はホントの美代子の部屋へ入って行った。美代子は自分の机の抽斗を開け、そこから二枚、学校で描いた絵をとり出した。
 「ハイ、これがアヤとニシキ。」
 一枚は山の写生、一枚が学校の門。
 「あ、こりゃホントのアヤニシキだッ。」
 三平が言ったので、幸介も感心したように声を合わす。
 「そうだっ、こいつが山ニシキで、そいつが門ニシキだっ。だけど、同じ貰うんなら、山も門もない白ニシキが欲しいなあ。」
 幸介がそう言ったので、それならばと、此度は白い画用紙を出して、二三枚ずつ二人にくれることになった。
 「ホゥ―こいつはステキだ。」
 幸介がおどけて喜ぶ。
 「ウン、大ステキだ。」
 三平も喜ぶ。そこで、山姥の腰の縄をといて、三人は机に向い、その画用紙に絵をかいて遊ぶこととなった。美代子が山姥の恐ろしい顔を描けば、幸介は馬の上に変な山姥が乗って駆けてる絵をかいた。三平は飛行機の上に山姥の顔が乗って飛んでる処を描いたりした。

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