ノートルダム清心女子大学 2年 藤原沙樹
この物語を読んでお母さんの帰りを待ちながら家の中でかくれんぼをしていた善太がすでに死んでいたという事実を知り大きな衝撃を受けました。
死んだ善太のかくれんぼをする声を聞いたお母さんが家の中で善太を探す場面では押し入れや、お風呂場、家のまわりなどの場所でお母さんの脳裏に浮かぶ善太の生き生きとした子供らしい姿が描かれていて、今でもまるで善太が生きているような臨場感さえ覚えました。この描写は死んでしまった「善太」の魂が生き続けているからこそのものなのだと思います。
善太の体は死んでしまったけれどそれで善太のすべてが消えてなくなってしまったわけではない。たとえ死んだとしても善太の魂や心は未だにお母さんの傍で、生前過していた大切な場所に留まり続けているのだと思います。それが家の中での善太の鮮明なイメージや「まあだだよ。」という声で、お母さんに届いたのだと思いました。
はじめ善太が死んでいるという事実を知った時、悲しく、寂しい気持ちになりましたが姿は見えずとも善太という魂や心がいつも傍にあるのだと思うと、少し心が温まる気がしました。
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