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<坪田譲治作品紹介>「村に帰るこころ」

[2020年6月19日]

ID:22784

村に帰るこころ

 (初出  『黒煙』1919(大正8)年5月号)
 (収録本 『坪田譲治全集 1巻』 新潮社)
 
  ノートルダム清心女子大学 4年 菱川千尋

 小説「村に帰るこころ」は、主人公の正太が見た夢から始まる。正太は幼い頃、自然豊かな田舎で過ごしており、田舎での思い出を夢で見ている。夢の中では、お爺さんとともに川で網を使って魚を捕っており、自然に触れ合うことを心から楽しんでいる正太の様子が描かれている。
 私の実家は、県北の自然に囲まれた田舎にあり、私は、正太と同じように幼い頃から、川や山といった自然を遊び相手に育ってきた。大学進学と同時に田舎を離れた現在でも、故郷を思い出しては懐かしい気持ちになる。作中の正太の自然を愛する姿、故郷を懐かしむ様子が自分自身と重なり、親近感を持ったため、この作品に心を寄せて読み入った。
 作品ではその後、正太は夢から覚め、あの田舎にいた幼き日から数年たち、電車の音を聴くことで、自分が今東京にいることを自覚する。正太は電車の音を聴いて「淋しい」と感じているため、田舎の自然にあふれた環境からかけ離れた東京での生活に、心細さや物足りなさを抱いていると考えられる。
 私自身、田舎とかけ離れた街に住んでいる今、作中の正太と同じように故郷とはほど遠く異なった風景に、時折淋しさを感じている。よって、正太の抱える「淋しさ」には強く共感するものがある。
 作中の正太の淋しさの原因の一つは、正太がかつて過ごした田舎のような風景が、東京には無いからだと私は考えた。正太は幼い頃、田舎の川で見た鯰や蟹と言った自然の生き物に触れ、自らの脳内で自然に対する想像を膨らませていることに喜びや快感を得ていた。しかし、正太が今住んでいる東京には、田舎のような自然はほぼ存在しない。昔のように自然を肌で感じることが出来ない環境に置かれた正太は、自分にとっての楽しみがなくなったため、淋しさを感じてしまっているのではないだろうかと私は考えた。
 「村に帰るこころ」は、譲治の作品の中でも初期のものであり、正太の心には、大学進学のために岡山から東京に出たときの譲治自身の思いが反映されているだろう。身体は故郷から遠く離れていても、常に故郷への思いを胸に感じていたかったという譲治自身の思いが作品に込められていると私は感じた。
 この作品を読み、自分の中での故郷という存在の大きさを実感した。「村に帰るこころ」を読む際には、読者の皆さんにも是非自らの故郷を思い出しながら読んでほしいと思う。

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