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<坪田譲治作品研究>「セキセイ鸚哥(インコ)」―善太の心の現実と非現実世界―

[2020年6月22日]

ID:22833

「セキセイ鸚哥(インコ)」―善太の心の現実と非現実世界―

 (初出  『文化』1931(昭和6)年12月)
 (収録本 『坪田譲治全集 第1巻』 新潮社)

  ノートルダム清心女子大学 3年 岩崎千晴 


 坪田譲治の「セキセイ鸚哥(インコ)」という作品は、題名の通り、セキセイインコが物語の中心となっている。私はその題名を見、子どもらしい楽しい話だろうと興味を持って本を手に取った。しかしその内容は単に子どもの無邪気さや活発さを描いた明るいだけのものではなく子どもなりの自分の気持ちを上手く消化できない様子などが表現されており、私はさらに興味を持ちこの作品を読み進めていこうと思った。
 まず、この作品「セキセイインコ」について、あらすじを紹介したい。主人公である善太は家に銀行員の井上さんが来るたびにのけ者にされ、お母さんにキャラメルを渡されて遊びに行くように言われる。善太はそれが面白くなくお母さんに構ってもらえない気持ちを持て余している、また、井上さんが帰るたび病身のお母さんはヒステリーになる。自分からお母さんを奪い、幸せを崩す井上さんを、善太は嫌い疎ましく思っている。善太にとって井上さんは、お母さんとの2人で過ごせる時間を奪い、お母さんを気疲れさせる敵であると言える。また、井上さんが来るたびに自分に構ってくれず、井上さんを大切に扱うお母さんも面白くなく、心の中に苛立ちを抱いている。のけ者にされた善太は、キャラメルを食べて、そのあと鳥小屋の鶏に雨蛙をつつかせて遊ぶが、それでも気が晴れない。そこで目をつけたのが籠のなかのセキセイインコであった。善太はセキセイインコを籠から出して足に糸をつけて飛びまわらせることに夢中になり、柿の木に登ってその頂きに糸をくくりつけようとするが、セキセイインコは動かなくなってしまう。その様子を見た善太は木から降りようとして失敗し地面に投げ出されてしまい、さらにはセキセイインコも2羽とも息絶えてしまったのだった。
 この作品では、前半部分ではキャラメルが、後半部分ではセキセイインコが登場する。この2つはどちらも子どもにとってはわくわくするようなものであると私は考えていたが、本作のなかでこの2つは、善太にとって楽しいものであると単純には描かれていない。そこで私はキャラメルとセキセイインコに興味を持ち、時代背景と作品の描写とを照らし合わせ、作品中においてどのように扱われているかを見、善太の心をより深く見ていこうと考えた。
 まず、キャラメルをもらった善太が、それを食べつつも、井上さんとお母さんのことが気になってしまいキャラメルの味すらもちゃんと分からないという心理に注目したい。キャラメルはこの作品が生まれた昭和6年頃においては代表的なお菓子であり、当時のキャラメルについて調べると、『近代子ども史年表1926-2002 昭和・平成』(2002年版 河出書房)によると、「東京の省線(今の山手線)の各駅にお菓子の自動販売機が設置され、子どもたちに大人気。10銭入れてハンドルを回すと、チョコレートは1個、キャラメルは1箱と2銭のおつりが出た」(昭和6年2月1日)とある。このように当時の子どもにとってキャラメルは、自分でハンドルを回して出てくるという胸躍る楽しさもあって人気であった。善太にとっても本来であればキャラメルは美味しくて嬉しいものであったはずである。しかし、作品の中では善太がお母さんから渡されたキャラメルについては「食べたキャラメルが一つも味がありません」「何て気持の悪いキャラメルでしょう」「キャラメルに飽き飽きしました」と書かれており、善太がキャラメルに対して嬉しさや美味しさなどの良い感情を抱いていないということがわかる。本来美味しいはずのキャラメルに対してそのような感情を抱いているのは、このときの善太の心境のせいだと思われる。ここでは井上さんに対する嫌悪やお母さんに対する行き場のない不満を善太が持て余していることを、「先刻食べたキャラメルが咽喉の奥から出て来そうです。何て気持の悪いキャラメルでしょう。井上さんの来た時、いつもこんな気持がするんです。唾をそこら中に吐きました」とあるように、善太のキャラメルに対して抱いた感情は、日常のなかの井上さんへの疎ましさや不快感、お母さんに対する不満やのけ者にされる孤独感と繋がるものとして描かれている。
 次に、セキセイインコに関して善太の心に迫りたい。善太の家では座敷のすみの縁の柱にセキセイインコの籠をかけて飼っている。そして、善太はお母さんにばれないようにこっそりセキセイインコの籠を取ってセキセイインコで遊ぶ。このセキセイインコについて『日本大百科全書2』(昭和60年版 小学館)によって調べてみると、インコ自体の飼育、繁殖については「一九一〇年以来飼い鳥として繁殖が盛ん」となり、その後の品種改良によってセキセイインコという品種が生まれたという。そして日本での飼育が盛んになったのは大正末期になってからであることから、この作品の昭和6年頃では一般家庭のペットとしては定着していなかったと思われ、しかもセキセイインコのような色彩に富んだペットというものは当時の子どもにとって心躍る存在であったといえる。
 この点においてセキセイインコは善太にとっても同様に、鶏などに比べてとても魅力のあるものであっただろう。作中では2羽のセキセイインコが飛び交う美しさに、善太は「ステキ!ステキ。」と子供らしくはしゃいでいる。さらに、善太はセキセイインコを鮮やかで幻想的な景色を作り出す素敵なものとして捉えており、「2羽のセキセイを柿の青葉の上を円形に飛び廻らしたら、どんなに美しい景色でしょう。もしかしたら、虹などがその背景として現れるかも知れません」と書かれている。実際にセキセイインコが庭を飛びまわる様子については「セキセイは高い空、蒼空に魅せられて、またクルクル廻りを始めました。何とステキな景色でしょう」と描写されている。こうして善太は、セキセイインコに夢中になることで向き合いたくない現実から逃避しているようにみえる。
 これらから、善太にとってセキセイインコは、不満を抱いている井上さんの存在も、お母さんの存在も、心に抱いている嫌な気持ちを忘れさせてくれて、自分の楽しいことだけの空想の世界を展開してくれる象徴であると言える。セキセイインコで遊び始めた善太はもうキャラメルを食べておらず、キャラメルが象徴する屈折した不快感や嫌悪感を忘れていることがわかる。そしてセキセイインコが飛びまわる景色について、善太は虹が出てきそうと空想しており、セキセイインコの飛びまわる様子を美しく幻想的であると感じ非現実的な空想の世界へ逃避している。
 しかし、セキセイインコが動かなくなった時には善太は登っていた木から落ちてしまい、ここで泣けばお母さんに構ってもらえると、善太は一瞬考えたが、我慢し「死んでも構わないと考えました」とある。このようにセキセイインコが動かなくなることで善太の楽しく美しい幻想の世界が終わりつつあることが窺えると同時に、善太はお母さんに自分の方を見てもらいたいのに、子どもなりに大人の世界の事情を何かしら察しているために行動できずもどかしく思っている。そしてセキセイインコが2羽とも息絶えると「もう日暮れが近いか、何となく四辺が薄暗く、身体が冷々と致しました」とセキセイインコの死とともにそれまでの幻想の世界が完全に終わってしまい、現実世界に再び戻っていると同時に、善太の心境も暗く鬱屈としたものとなり、先ほどまで楽しんでいた気持ちが冷めてしまったことが感覚的に自覚されている。セキセイインコで遊んでいるうちは明るく活発であった善太も木から落ちてからもう顔も上げられなくなり、善太は「「井上の馬鹿!」/と口の内で云いました」と暗い気持ちへ戻るとともに、今まで忘れていた井上さんへの苛立ちや不満を再び思い出しており、しかしそれを口に出しては言えないために、子どもである故の無力感が善太のなかに広がったのではないかと思われる。
 あれほど夢中になっていたセキセイインコが死んでしまうことで、善太は自分の心に纏わりついて離れない井上さんに対する不快感や苛立ち、母に対する不満と寂しさ、そして子どもであるために現状をどうすることもできない自分自身へのもどかしさなどを上手く消化できず、無意識のうちにセキセイインコに気持ちをぶつけてしまっているのだと考えられる。
 以上のように、善太は初め、井上さんが来ることに対する不満感や嫌悪感を感じており、美味しくてうれしいものであったはずであるキャラメルは、善太の井上さんに対する敵意や不快感を象徴するものとして登場していることがわかる。その不快感を発散するために蛙や鶏で遊ぶが、気が晴れない。そこで、自分の思い通りにならない暗い日常の一方、セキセイインコで遊ぶことで、嫌な気分を忘れさせ楽しい気分にさせてくれる非日常世界を味わった。しかしセキセイインコはすぐに力尽き息絶えてしまい、善太の楽しい気持ちは失せ、再び暗い苛立ちの気持ちが戻ってくることで作品は終わる。
 このように作者坪田譲治は、当時人気で生活のなかにおいて馴染みの深かったキャラメルと、当時まだ珍しかったセキセイインコを作品の中に登場させて、譲治自身も経験したような大人の思うようにならない現実生活のなかで善太の心を描くことで、子どもの心にそんな現実世界がどのように反映しているか、またそこから逃避する空想の非現実世界がいかにリアリティをもって感じられているか、対照的に表現したのではないだろうか。

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