今は岡山県とか広島県とかいっておりますが、昔、あのへんのことを備前の国、備中の国、備後の国などと呼びました。その備中の国の高松城というのを、豊臣秀吉の軍勢が取り囲んで、毛利方の名将清水宗治の軍を水攻めにしたことがありました。天正十年五月、今から三百五十九年前のことであります。
ところで、私が生まれて、そして大きくなった村は、その高松城から東南へ八キロのところにあります。川の流れている田圃の中に、二十軒ばかりの家しかない、ほんとに小さい村であります。私は十八歳の夏、東京の学校へはいるため、その村をでてきました。それからは、ときどきそこへ帰ることはあっても、一月とそこに住むようなことはなくなりました。そして、三十四年の月日がたちました。最近の十年はそこに帰ったこともありません。しかし不思議なことに、その村は私の心の中にあって、昔のまま少しも変らぬ姿でおります。見ようと思えば、いつでも見られます。眼をつぶりさえすればいいのです。しかも、遠くからでも、近くからでも、南からでも、北からでも、見たいと思うところから見られます。また、トンボのとまってる畑の杙でも、カニが泡をふいている石橋のたもとでも、鴉が巣をつくっている大松の木のてっぺんでも、見たいと思うところは、どこでも見られます。
実は今日も私は、机に向かっていて、その故郷の、私生まれた家の、松風の音の聞える、古い庭をじっと心の中で見つめておりました。すると、このような有様がそこに浮かんできたのですが、それを、これから書いてみることと致しましょう。
私の家の庭はいつ頃つくられたものか、私は知りませんが、家に伝わっている絵を見ますと、えん側にすわってその庭を眺めているチョンマゲ姿の武士がおります。だから、まず、明治以前に違いありません。で、その絵にも描いてありますが、南側のその縁側から右前方に一本の松があり、その松のさしだした枝の下に一つの岩があります。この岩は高さ一メートル、まわりは一斗樽というあの樽くらいの太さだったでありましょうか。低いつつじの茂みを裾にして立っておりました。この岩が楠石というのですが、そんな石の名を誰かご存じでしょうか。私もオオヤ石だの花崗石だのいうのは知っておりますが、楠石というのは、本でも見たことがありません。しかし楠石だというので、楠石と呼んでおりました。全体の形は水晶のような結晶が崩れて、こんなのになったと思われるところがありました。そして、その結晶と見える面が大理石のようにつやつやと光っておりました。光らないところには、白いような黒いような苔がついておりました。何にしても、子供の頃は、その岩をともて尊いものと考えていたのであります。
「もしかしたら、これは世に知られない宝石で、いつか、そうだ、何十年も何百年もの後、洋服を着て、ヒゲをはやした石の学者がここにきて見て、これを発見して何百万円もするものだと、ビックリすることがあるかも知れない。」
私はそんなことを思ったことさえあるのです。
しかしまた、先祖の武士の絵に描かれている岩だと考えると、別の意味で、その岩が尊く思えるのでありました。だって、岩は、その武士の頃にもあったのです。武士に腰をかけられたことだってあるでしょうし、武士の言葉なんかも聞いていたのです。
「あゝ遠く聞ゆる軍馬のとどろき。」
一人の武士が、昔そんなことをいったかも知れません。すると、別の武士が、
「羽柴筑前殿の軍勢、いよいよ京表さして引っ返すものと見えまする。千成りビョウタンの馬じるし、恐ろしいばかりに光っております。」
こんなことをいって、小手をかざして、遠くを眺めたかも知れません。それを、この岩は見たり聞いたりしていたのです。だから、尊く思わないではおれません。
小学校の六年生頃でした。今から四十年も前のことであります。私はその岩の近くの一本の木にもたれかかり、いつものように、そんな空想にふけり、じっと、岩を眺めつづけておりました。岩はいつもに変らぬ静まり返ったさびのある姿をしておりました。ちょど夏の午後で、蝉がジーンと鳴きすましておりました。その蝉の声は、ほんとに岩にしみ入るように聞えていました。傾いた太陽の光が木木の間から、岩の前に二つ三つの光の筋をひいていました。それを見つめているうちに、ふっと私は神様に祈るような気持になりました。何を祈ったか、神様はどんな神様であったか、今はもう忘れてしまいました。しかし、それから何日かたった後、友達や弟なんかをつれて来て、私は、その岩のまわりに、みんなをすわらせ、
「この岩、神さまなんだから、みんな手をたたいて、拝みなさい。」
と、いったことがありました。これはじょうだんですが、それでもみんなは私のいう通りに、岩を囲んですわって、パッタパッタと拍手を打ちました。それから何度も頭を下げ、また何度も手を打ちました。
「それで、こうしとくと、どんなことがあるんだい。」
友達の五郎くんがきくのでした。
「ウン、こうしとくと、間違いがないんだよ。」
私はいいました。
「間違いって、なんだい。」
五郎くんが、またいうのでした。
「ケガをしたりさ、お金を落したりさ、そんなことが間違いなんだよ。」
「フーン、つまりこの岩の力がそんなことのないように働くんだね。フーン。」
が、しかし、それから四十年、私は大した間違いなく生きてきました。考えて見ると、あの岩へのお祈りは少しききめがあったのかも知れません。というのも、それから後ふざけて何度も手を打ちましたが、本気で頭を下げたことも、二度や三度ではありません。いつかなんか日暮れ頃のことでしたが、縁側から見ていましたら一羽の鴿くらいの鳥が、その岩のてっぺんでハタハタと羽を打っていました。空へとんで行くところだったのです。私はその鳥はその岩の中から出て来たのだと思いました。だって、ついぞ見たこともないような羽根の色で他の何鳥ともいえない特別の姿をしているように思えたからであります。今日その鳥が何鳥であったか解りませんが、とにかく不思議な鳥でありました。
前おきばかり長くなりましたが、これからがほんとうのお話なんです。聞いて下さい。まず私のつぶった眼に、その私の故郷の家の庭がうつり、その庭の松の木の下の楠石がうつったことは今まで書いた通りであります。ところが、その岩を眺めている内に、その岩の側に、いつの間にか一本の赤いけしの花が咲いて静かにじっと立っていました。いや静かにじっと立っているばかりでなく、その岩とお話しているように見えました。何て、話をしたでしょうか。一生けんめいに私が聞く気になりますと、こんな言葉が聞えてくました。
「もしもし、あなたは強そうな方ですねえ。」
まずけしの花がいうのです。
「ウン。」
岩の中から、こんな返事が聞えました。
「風にも、雨にも、ビクともなさらないでしょうね。」
「そうじゃ。」
「枯れたり、しぼんだりすることはありませんでしょう。」
「ない。」
「では、いつ迄もそうしておられるのですか。」
「そう。」
「えらい方ですね。あなたは。」
「えらくはない。」
岩とけしの花はここでちょっとだまりました。風が吹いて来て、赤いけしの花びらを動かしました。けしの花ははずかしそうに身体をゆりました。それからまた話しだしました。
「でも、私にはどうしてもわかりませんわ。今迄ずっとそうしていて、これからいつ迄もそうしておられるということが。いつから、いつ迄というきりはないのですか。」
「ない。」
これで、けしの花は考え込むように、しばらく、まただまっていました。それから話しだしました。
「あなたはこのへんのこと、何でもご存じでしょうね。」
「ウン。」
「昔の昔の、大むかしのことでも。」
「ウン。」
「お話して下さいませんか。」
「ウン。」
岩は、遠い遠い、遠い昔を思い出すようにだまりました。けしの花は岩の話を聞こうと、少し頭をさげました。
「日が照っていたね。」
岩がいいました。
「はあ――やっぱりねえ、大むかしでも、そうでしたの。」
けしの花が感心しました。
「それが昼だ。」
岩がいいました。
「昔も夜と昼とあったのですか、ほ――。」
けしの花は感心しつづけました。
「夜は暗かった。」
岩のこの言葉を聞くと、けしの花はせき込みました。
「月も星もなかったのですか。」
「ハッハッハッ。」
岩が初めて笑いました。低い、さびのある声です。そして、いいました。
「月もあり、星もピカピカ光っていた。天も地も、自然というものに昔今の変りはない。変るのは人間の世界ばかりだ。」
「あ、そうですか。」
けしの花は大声でこういいましたが、それきりだまってしまいました。聞くことがなくなったのでしょうか。それとも、何か考えているのでしょうか。しかし、岩が話しだしました。
「人間の世界は面白いぞう。」
けしの花がこれに答えました。
「そうですか。私はこれくらい面白くないものはないと思っておりました。」
「フーン、まあ、これくらい面白いものは世界にないな。二百年三百年と、わしはここにいてそれを眺めつづけてきたが――。」
そういうと、岩はだまってしまいました。風がまた吹いてきて、けしの花びらが動きました。しかし、もう、けしの花も、何もいおうとしませんでした。
そこで、私はずっとその側を離れ、遠くの方から、それを眺めることに致しました。すると、どうでしょう。空が蒼く晴れている昼であるのに、その岩の上の空に一つの星が見えだし、それが生きているように、ピカピカピカピカと光りました。一羽の、不思議な鳥が、その時、岩のてっぺんからハタハタと羽根を打って、その空めがけて舞い昇りました。
では、さようなら。岩の話は、今日はこれくらいにしておきます。
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