ノートルダム清心女子大学 2年 K.A.
戦争がどういうものであるか、短いお話のなかでもしっかり想像させられるなと思った。
なかなか家族の元へ帰れなかったお父さんはあの時代どれだけいたのだろうか、待つ家族はどんな気持ちだったのかと考えさせられ、戦争はこれから先起こってはならないと強く思った。
作品冒頭でお父さんは大きな貝がらを見て考え込んでいたと書かれており、貝がらになにか悲しい思い出があるのかと考えたが、実際は悲しく辛い思い出だけがつまったものではなく、苦しい時も家族のために頑張ろうと思わせる心の支えになるものだったと分かり、自分も大切な人のために前向きに生きていこうと思わされた。
ノートルダム清心女子大学 2年 K.A.
遠足のかえりに残った一つのパンを動物にあげようとしている三ぺいとみよ子がとてもかわいらしい。動物に対して三ぺいは口調が強く高圧的で、みよ子は優しい口調で接している。パンをあげようとすればにわとりも犬もすぐに寄ってきそうなものだが、三ぺいの態度が動物に伝わり怯えさせてしまったのだろう。
私自身犬を飼っていた経験があるが、威圧的に犬と接していた父はよく吠えられており、優しく接していた母は懐かれていた。また、当時幼かった私は優しく接していたつもりではあるが、懐いてくれるまでに時間がかかった。
まだ動物への接し方が下手だったのだと思う。三ぺいもこのことを通して動物への接し方を覚え、今度はみよ子と二人で一緒にパンをあげることができたらいいと思う。
ノートルダム清心女子大学 2年 K.K.
老人の暮らしは自分の生涯を振り返るというものだった。しかし突然墓地に行き四方を眺めるという、過去を振り返るのではなく自分が死んでその墓に入った時という未来のことが気になっていた点が不思議だった。
死ぬということは学校を欠席するようにこの世を欠席するという考えは新鮮だった。老人が自分が死んだ夢を通して墓に入ってからのことではなく墓に入る前に見たいものが浮かんでいたことで生きることに前向きになったような気がして嬉しくなった。
ノートルダム清心女子大学 2年 N.K.
物語の主人公「ぼく」が夢の中でトンボになってしまうという現実味のない設定が、坪田譲治ワールドを感じさせる。トンボの身体についての描写や、トンボが人間に捕まる様子の描写が詳細になされており、読者がトンボの視点に立ったような臨場感を味わうことができる。弟の杉夫がトンボである「ぼく」に無邪気に手を伸ばす様子を、恐ろしいものとして描いているのが印象的だった。
トンボになってしまったのは夢の中の話だと分かり、安心する結末かと思いきや、「病気で寝ている」の一言で物語の空気感が変わる。「ぼく」がトンボになったのは、単なる子どものみる穏やかな夢ではなく、病気で眠るほかない現実からの逃避や、自然とかかわりたいという気持ちの表れかもしれない。
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