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インターンシップ・レポート/『偶然の出会いの追求』

[2024年9月30日]

ID:65000

花房 美空

 岡山の文学の新たな魅力を探る現地調査の最中、昼下がりの静けさの中で、木陰でひと休みをしている句碑と出会った。

「水滴のひとつひとつが笑っている顔だ」

 この句碑を読んだとき、風変りな句が心に残った。私の中での俳句は、五・七・五の中に自然の季節を表す季語が織り込まれている。しかし、この句は音に囚われず、水滴という曖昧な語句が使われている。

 これらのことから、興味を持ち、この句を詳しく調査することにした。

 この句を書いた住宅顕信の生涯は句のような明るいものではなかった。病魔に冒され、妻と別れ、三年の入院を経て、二十五年で生涯を終えた。その後、句友であった池畑秀一らの尽力により句集「未完成」が刊行された。

 短い人生の内、俳人であったのはわずか三年のみであったが、二百八十一の句を後世に残した。

 住宅顕信が残した俳句は、自由律俳句というものである。五・七・五の形式に縛られず、自由な言葉で感情や風景を描く。病室の中だからこそ、句は型に囚われずに自由であるのだと考えた。

 他に残した句には

「洗面器がゆがんだ顔をすくいあげる」

 という句がある。不治の病に苦しみながらも書いた自由律俳句は悲しみや無念さがある。しかし、見つけた句碑には正反対の笑顔がある。弾けるような希望に満ちていく句は、せめて前向きになろうとしたのか、それとも、近付いてくる「死」を振り払おうとしたのか。

 俳句は「省略された芸術である」と聞いたことがある。短いからこそ思いを、その一瞬の感情を全て載せる。そこから生まれた俳句は、無駄なものを切り離した、唯一無二の魂の叫びが籠った作品になるのだと調べているうちに理解した。

 旭川沿いを何気なく歩いていて、ふとこの句碑を目にする。そんな小さな偶然から俳句に興味を持つ。このようなことの積み重ねが、岡山の文学を発展させ、豊かにする。

 病室の中で詠んだ句が、四十年もの時を経て、広々とした空の下で木陰に佇むことに深い意味が宿っていると感じた。

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