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−第37回(平成17年度)− |
「ああ、いい湯だなあ、ホホホン。いい湯だなあ。ほんとに、ほんとにいい湯だなあ−」 お風呂の中に肩までひたりながら、自己流の唄をうたう。思わず、自然に私の口を突いて出てくる唄。心はあくまで温泉気分。 あまりにも気持ちがいいので軽く目を閉じる。 その日は、五月晴れの青空がどこまでも広がっていた。庭のふみ石の両側に縦一直線に並んださつきの花が満開。まるでピンクのじゅうたんの帯のようだ。 陽気にさそわれて、夫の運転で市外の大きいスーパーマーケットに行く。ここで軽い昼食をとり、夫は電気製品のコーナーに、私は衣類の売り場へと足を向けた。 自分の用事をすませ夫のそばに行った。あれから三十分以上も経過しているのに、レジの前でまだ、もたもたしている。 「きれいに包装してリボンをかけます…」 若い男性店員が夫に向かって言っていた。私のいつものいらいら虫がごそごそと、はい出したきた。 「何を買ったのか知らないが、そんな大きいもの包装なんかしなくても、大袋に入れてもらって、車の中に突っこんでおけばいい」 私は半ば投げやりな言い方をした。夫は口のなかで何やらぶつぶつ言いながらのも、私の言う通りにした。 どうせまた、夫の好きな電気製品を買ったのだろうと、腹の中で私は思いこんでいた。 さて、帰宅すると、例の荷物を大事そうにかかえ、風呂場に突進した夫は、なかなか出てこない。 耳を澄ませば、電気ドリルを使う音が聞こえる。 「いったい、何をしてるの…」 とんがった声で私は風呂のドアを、勢よく開けた。なんと、なんと浴槽の真んなかどころに、泡風呂が取り付けてあるではないか。そばの空箱に「リラックス・ジェット・バス」と明記してあった。 瞬間、私は目が覚めた−。 ああ、そうだ。明日は日曜日「母の日」だ。一年前から膝関節が悪くなり「イタイ、イタイ」を連発している私のために泡風呂を…。 包装して赤いリボンを結んでもらう筈の、夫の気持ちを、見事にくだいてしまった。私の心の目がうるるんとなり、今にも水がこぼれ落ちそうになる。 年を経て、意気投合の日ばかりもないが、ともに生きておれば、愛とはまた別の深いきずなが生まれてくるのかしら。このときばかりは相手のありがたさが素直に伝わってきた。 きまりが悪くて「ごめんなさい」とは言えないわたし。 でもねえ。毎朝、泡風呂の中で、声を張りあげてうたっている唄 が、夫の耳に届いているなら、私の満足の度合いもわかっていてくれるであろうか…。 「ああ、いい湯だなあ、ホホホン。いい湯だなあ。ほんとに、ほんとにいい湯だなあ−」 |
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