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岡山市高松にある。足守川が形成した平野部にある平城で、羽柴秀吉によって水攻めを受けたことで有名である。 この城は、天正年間(1573-92)以前に、三村氏の部将であった石川氏によって築造され、後に石川氏の娘婿である清水宗治が 城主となった。天正十年(1582)に、宗治が籠もる高松城をはさむ形で、毛利氏と織田氏(羽柴秀吉)が直接衝突した。その際に高松城の周囲には堤が築かれ、足守川や長野川から水を引き入れて水攻めを受けた。毛利輝元と羽柴秀吉の講和交渉中に、織田信長が明智光秀によって殺されたが、宗治の自刃と、領地の割譲を条件に講和が成立した。高松城は、その後宇喜多氏の部将花房正成が居城とし、慶長五年(1600)の関ヶ原合戦後は、花房職之が徳川氏の旗本となって転封し、陣屋として用いた。 城郭は、本丸から南へ二の丸、三の丸が続き、北から東へ家中屋敷が取り囲むと推測されている。ただし、現況の城郭の大半は、清水氏の高松城以降に改修を受けた後の姿である。発掘調査が部分的に実施されており、城郭基底部の捨石や堀切を検出している。また、当城出土の瓦に関する考察もある。
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