日応寺番神堂
日応寺は、岡山市日応寺にある。伝承によると報恩大師が15才で入った寺で、その後、聖武・孝謙・桓武の3天皇の病気平癒祈願がおこなわれ、勅命をもって仏恩に感謝したとされる。そして、当寺は報恩大師が備前に開いた四十八ヶ寺とは別の根本道場ともされる。さらに栄西が二度目の入宋の前に著した『誓願寺盂蘭盆縁起』からは、当寺に止住したことがうかがわれる。ただし、永禄二年(1559)に、金川城主松田元輝の強制によって日蓮宗に改宗したといわれる。 番神堂は18世紀初頭頃の建立と推定され、桁行三間、梁間三間の単層入母屋造で茅葺である。向拝は一間で箱棟を上げており、内部は彩色文様を施す。
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