■姿を消した巨大城郭 |
明治2年(1869)の版籍奉還により藩主・池田章政は岡山藩知事に任ぜられ、岡山城は藩の府城たる役割を終えて兵部省管轄となった。明治の世に城は無用の長物となり、順次建物の取り壊し・堀の埋め立てが行われていった。御殿・櫓・門などの建物の取り壊しは明治15年(1882)頃までに完了、天守閣・石山門・月見櫓・西之丸西手櫓を残すのみとなった。随所にあった堀の埋め立ては何度かに分けて行われ、昭和初期頃までにほぼ終了、本丸を除く城郭はすっかり市街地へと変貌し、五重の堀に囲まれた巨大な城郭はすっかりその威容を失ってしまった。 |
■天守閣炎上 |
岡山城はいったん陸軍省の所管になったのち明治23年(1890)、旧藩主池田章政に払い下げられた。その後、池田家の提供により本丸に県立岡山第一中学校が建てられ、昭和になって残っていた天守閣など4棟の建物は相次いで国宝に指定されている。しかし、昭和20年(1945)6月29日、米空軍による岡山大空襲により、天守閣・石山門、そして岡山一中校舎は全焼、岡山城はついにそのシンボルをも失ってしまう。 |
■威容よみがえる |
戦後の混乱期も過ぎ、時代は高度経済成長期に入り始めた昭和35年(1960)、旧藩士を中心に岡山城再建期成同盟会が結成され、天守閣再建の動きが本格化する。その後岡山市がこの事業を引き継ぎ、篤志による融資と寄付金を資金に昭和39年(1964)着工され、2年後の昭和41年11月、竣工した。木造ではなく、鉄筋コンクリート工法であったが、外観はほぼ旧状どおりに
復元された。同時に明治期に破却された廊下門・不明門・六十一雁木上門と塀の一部が再建され、岡山城は昔日の威容を取り戻したのである。 |
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 |
最後まで残った二之丸中堀
昭和7年頃。中央奥に天守が見える。右端が現在の林原美術館。 |
岡山一中
明治29年(1896)本丸内に移転 |
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空襲直後の岡山城の惨状
昭和20年7月に撮影。左端に月見櫓が見える。 |
工事中の再建天守閣 |
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写真:「岡山城史」より |
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