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なんとか森家にたどり着いたという説と、途中で断念したという説もあります。
これを乗合自動車として実用化するためには改良が必要でしたが、そのためにはさらに相当な出費が予想されました。この時までに森と楠はすでに1万2000円もの大金をつぎ込んでいたため、この時点であきらめることになったと言われます。
決して山羽の不備ではなく、当時の日本ではどうすることもできなかったタイヤのトラブルが原因だったので、さぞかし無念だったろうと思われます。 |
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その後の山羽は、この経験を生かし、ガソリンエンジンの研究に没頭しました。明治42年(1909年)には完成させ、自転車を改造したものに搭載して自動二輪車を作り上げました。30台ほど売れたと言われています。
また発明家として、およそ150もの特許を取得し、昭和32年(1957)、83年の生涯を閉じました。 |
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岡山城そばの山羽虎夫胸像
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